講師:安藤忠雄

2008年2月28日 (木)

好奇心こそ、青春。青春こそ、実行力だ

『「世界のアンドー」の発想力と実行力はどこから生まれたのか』その7

安藤忠雄

「海の森プロジェクトを通じて、日本に「経済大国」という顔だけでなく、もうひとつの顔をつくりたい」と安藤は語る。2007年7月から予定地に苗木を植え始めた。小さな苗木も5年間で5メートルに育つ。石原知事は小学校の校庭を芝生にし、電柱はすべて地中埋設すると宣言した。東急電鉄は線路脇の緑化を進めている。強いリーダーシップのもとにいろいろなことが動き出している。

安藤の発想は地球規模だ。海の森プロジェクトも「建築を通じて学んできたことを、少しでも地球のために役立てたい」との想いから。阪神淡路大震災の後、被災地に白い花の咲く木を植える運動を推進してきたことや、9.11テロの跡地をメモリアルパークにという提案も記憶に新しい。

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2008年2月19日 (火)

「海の森」は「地球の森」、地球にもっと好奇心を

『「世界のアンドー」の発想力と実行力はどこから生まれたのか』その6

安藤忠雄

石原慎太郎都知事は2016年のオリンピック誘致に向けて、グランドデザインの総監督を安藤忠雄に要請した。安藤は石原都知事に、代々木体育館などの1964年の東京オリンピック時に使用された施設を補修して使うことを提案。その根底には「既存ストックを有効に利用していくかは地球規模の課題」という問題意識がある。新たにつくる施設については、世界の若手建築家を集めてコンペをし、安藤自身は審査に当たりたいと考えている。

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2008年2月15日 (金)

世界一の建築技術と土木技術に支えられて

『「世界のアンドー」の発想力と実行力はどこから生まれたのか』その5

米倉誠一郎_安藤忠雄

安藤の独創的な設計を支えているのは、日本の優れた建築技術である。日本の建築技術は世界最高と安藤は讃える。世界で仕事をしてから、ますますその想いを深めているという。

同潤会青山アパートの再開発(現・表参道ヒルズ)では、建物の高さをケヤキ並木以下に抑え、地下を30メートル掘り下げた。これは、日本の土木技術や建築技術がいかに優れているかを示すものだ。技術力だけでなく、「現場監督のスケジュール管理や工事監理は神業としか思えない」と安藤はいう。

ちなみに、建物のアトリウムを囲む通路を表参道の坂道と同じ傾斜のスロープにするアイディアは、森稔・森ビル社長の発案だったそうである。安藤は当初反対だったが、模型をつくってみて納得し取り入れた。内部の床に石を敷き込み、建物のなかに街がもうひとつ出来たかのような雰囲気を醸し出している。

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2008年2月13日 (水)

日本も変わるべきとき。新しいことに挑戦せよ

『「世界のアンドー」の発想力と実行力はどこから生まれたのか』その4

米倉誠一郎_安藤忠雄

安藤はこれまでの建築の常識を破ってきた。彼の軌跡は、まさに挑戦の歴史である。
1988年、淡路島・本福寺の檀家総代から「世界に類のない寺をつくってくれ、世界から人が見に来るような寺にしてくれ」という依頼を受けた。安藤は、直径40メートルもの蓮池の下に本堂をつくるプランを提案。当初、檀家衆は全員反対だったという。通常は賛成3割、反対3割、残りは保留といった感じだが、このときばかりは全員揃って見事に反対。ところが、大徳寺の高僧が「蓮という仏教の原点のなかに入るなんて夢のようだ」といった途端に全員賛成に転じたという。いかにも日本らしいエピソードである。

日本の寺では屋根が権威の象徴だが、本福寺は蓮池の下。当然、屋根はない。京都から見学に来た僧侶の集団が「屋根がない、砂利と蓮しかない」と憮然としていたらしい。このエピソードを紹介した安藤は「そろそろ日本も変わらなければいけない。新しいことに挑戦してほしい」と語る。

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2008年2月 7日 (木)

便利さに浸っていると、自ら創造する力を失う

『「世界のアンドー」の発想力と実行力はどこから生まれたのか』その3

安藤忠雄

安藤の手掛けた建築のエピソードやリクエストを辿っていくと、その独創性がよくわかる。

あるとき、大阪の経済界から安藤に「京都や神戸から人を集める仕掛けを考えてくれ」というリクエストがあった。安藤が提案したアイディアは、海中にネットを張りシャチを3頭飼うこと。経済界も国交省も面白いと賛成したが、大阪市は難色を示した。シャチを3頭飼育するのに年間1億2000万円かかる。そんなややこしいことはしたくない、というわけだ。

水族館の水槽ではなく、海のなかを自由に泳ぐシャチの姿が見られるのならば、おそらく年間300万人は集まるだろう。もしも、シャチが逃亡して川を遡上したら、多くのメディアが追いかけて日本中がシャチに釘付けになるはずだと、安藤は冗談交じりに語るが、その目は真剣そのもの。この計画は実現していないが、安藤はまだ諦めてはいない。

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2008年2月 6日 (水)

この家には建築家の強い意志がある

『「世界のアンドー」の発想力と実行力はどこから生まれたのか』その2

安藤忠雄

約4年間の世界放浪の旅を終えて、1969年に大阪に戻り、建築の仕事を始めるが、なかなか依頼は来ない。そこで、あちこちの空き地を回ってプランを描き、所有者に「こんなものを造りませんか」と提案して回ったというから、たくましい。20数坪の小さな家をいくつか手がけるなかで、1975年に設計したのが、安藤の初期の代表作といわれている「住吉の長屋」である。

住吉の長屋は中庭を抱くようにつくられたコンクリート打ちっ放しの小住宅。冬は寒く、雨の日は中庭を通ってトイレに行くにも傘がいる。近代建築では機能は流れるようにつくることが原則だが、その原則からはかけ離れている。

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放浪の旅で学んだ、考える力と生きる力

『「世界のアンドー」の発想力と実行力はどこから生まれたのか』その1

安藤忠雄

安藤忠雄。いわずと知れた世界が注目する建築家である。世界各国で仕事をする傍ら、東京湾のゴミ埋め立て地に木を植え、「地球の森」をつくるという「海の森プロジェクト」にも精力的に取り組んでいる。アーク都市塾での講演をもとに、たぐいまれな発想力と実行力がどこから生まれたのかを探る。(文中敬称略/文・フリーライター 太田三津子) 

安藤忠雄が青春時代を過ごした1960年代は、日本の国の青春時代でもあった。安藤も小田実の『なんでも見てやろう』、五木寛之の『青年は荒野をめざす』を読み、世界を見て回ろうと、横浜港からナホトカに渡り、シベリア鉄道で一路ヨーロッパを目指す貧乏旅行に出る。今でいうバックパッカーだが、当時は、今のように日本の若者が気軽に世界を回れる時代ではない。相当な覚悟で出発したのだろう。

安藤には思ったことを即実行に移す行動力がある。

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安藤忠雄プロフィール

安藤忠雄安藤忠雄(あんどう・ただお)
建築家

1941年大阪生まれ。独学で建築を学び、1969年に安藤忠雄建築研究所を設立。
環境との関わりの中で新しい建築のあり方を提案し続けている。

代表作に「六甲の集合住宅」、「光の教会」、「大阪府立近つ飛鳥博物館」、「淡路夢舞台」、「南岳山光明寺」、「FABRICA(ベネトンアートスクール)、「アルマーニ・テアトロ」、「ピューリッツァー美術館」、「兵庫県立美術館」、「国際子ども図書館」、「フォートワース現代美術館」、「地中美術館」、「ホンブロイッヒ/ランゲン美術館」、「同潤会青山アパート建替計画(表参道ヒルズ)」、「パラッツオ・グラッシ」など。

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