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2008年3月26日 (水)

バーゲンの呼び込みをした伊勢丹での下積み時代

『フジマキ流「自分ブランド」のつくり方』その1

藤巻幸夫藤巻幸夫:  今回の講演の数日前までセブン&アイ生活研究所の代表を務めていたため、これまでは極力人前に出ることは控えていました。久しぶりに500人もの聴衆の前で話す機会をもって、緊張すると思っていたのですが、まったくしていません(笑)。飽きさせない、眠らせない、そして1つはいいことを言ったと思われるよう、一気に話していきたいと思います。

伊勢丹に入った時(1982年)、私は本当にダサかったんです。今でこそ「ファッション、ファッション」と言っているので多少はセンスも上がっているかも知れませんが、当時は本当にどうしようもなかった。普通の大学を卒業して入社したので、ファッションの知識もまったく持っていませんでした。ある時など、商品の洋服の表面を触りつつ「これ、いいアクリルですねえ」と言ったところ、「これはカシミヤっていうんだよ」と先輩から怒られました。「キュロット(スカート)をとってきてくれ」と頼まれて、「人参はどこですか?」と返したこともあります。

今では"勝ち組の百貨店""世界のISETAN"として知られる伊勢丹も、その当時は今ほどいいブランドもなかったし、2階にはバーゲンコーナーが ありました。私の当初の仕事は、その2階の3坪の売り場で365日、朝から晩までバーゲンの呼び込みをするというものでした。そのほかで任されていたの は、在庫整理やごみ掃除だけ。ファッションとかトレンドとか、世の中に必要なものとか何も分からなくて、ただ売れ残った商品をバーゲン品として売っていた 日々だったのです。

こんなことを言うとまた怒られますが、その時の仕入れ担当の先輩は現在、伊勢丹の常務執行役員となっています(笑)。今でこそ彼は『伊勢丹のファッ ションは俺が決める』って言っていますが、あの時はとんでもないモノを仕入れては「死ぬ気で売れ」って怒鳴り、私は蹴飛ばされながら働いていました(更に 笑い)。

話はどんどん逸れますが、昼飯も酷かったんですよ。おしゃれな社員食堂は使わせてもらえず、「お前は立ち食いそば屋で、5分で済ませろ!」と先輩か ら言われていました。伊勢丹の近所の「富士そば」によく行きましたが、常連になってついには店員のおばさまたちの送別会に呼ばれたこともあります。私の人 脈はこんなところにまで広がっているんです(笑)。今でも「富士そば」は大好きで、福助時代も渋谷の「富士そば」によく行きました。そんな大変な伊勢丹の 下積み時代でしたが、おしゃれな雰囲気があり「これから伸びるぞ」という雰囲気のある職場は好きでした。私の古き清き思い出です。

当時バブルの真っただ中で、ちょうどディスコ「エムザ有明」ができた頃です。このディスコをプロデュースしたのが、売れっ子の空間プロデューサー角 章さん。前から「すごい人だなあ」とずっと憧れを抱いていた人でした。角さんと知り合いだった友人に頼み込んで、「エムザ有明」のVIPルームにまで会い に行ったこともあります。

先日偶然、角さんと会って熱い議論を交わしたのですが、やはり憧れの人や夢を追いかけるミーハー心をもっている、継続させることはとても大切なことだと改めて思います。今回の「自分ブランド」にも関わってくる話です。
(その2に続く、全6回)

この記事は、2008年2月5日にアカデミーヒルズで開催した藤巻幸夫氏&藤巻健史氏のセミナー『フジマキ流「自分ブランド」のつくり方』を元に作成したものです。

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